わたげ的日常生活

日々の中で紹介したいと思った事を書きます。

置かれた場所で咲けなかった、外では就職できなかったニートの記録

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置かれた場所で咲きなさい。

という有名な言葉がある。
でも、置かれた場所があまりにひどくて、根も伸ばせずに枯れゆくばかりの時、私たちはインターネットという風を使って綿毛を飛ばすことができる。
自分のわたげを、今いる自分の場所から遠くへ。
新しく落ちた場所で、インターネットの海の上で、私たちは新しい花を咲かせることができるかもしれない。

もしかしたら、インターネットの海の上にあるちょっとした孤島のひなたの方が、今あなたが頑張って咲こうとしている荒野よりも居心地がいいかもしれない。

これは、そういう記事だ。

 

 

わたしと、置かれた場所からわたげを飛ばした妹

私はWEBライターだけども、パソコンに向かって文章を打って、それがお金にならないことも結構ある。今はライターとして働いているが、もっと前は完全なニートだった。

社会的に働いていない。役割を果たせていない。それってとっても心に色々とのしかかってくるもので、潰されそうな時期もあった。
自室の、真っ白な壁に押しつぶされそうだった。きれいな黄色のカーテンを引いて、朝日を部屋に入れるのが怖かった。朝がくるのが嫌だったし、目が覚めたら死んでいないかな、といつも思っていた。

猫になりたかった。
植物になりたかった。
何か自分とは違うものになりたかった。

そんなときに家族が言った。

「いいじゃん焦らなくても」

栗毛のショートカットの妹は、声変わり前の少年みたいな声で明るく言った。
二人でカップラーメンを食べながら過ごす午後。インスタントで、安っぽくて、でも二人で食べるラーメンはおいしい。

「お姉ちゃん焦って色々やるから逆に失敗するんじゃないの?」

在宅でイラストレーターを営む妹は、社会一般的に見てそれなりに成功者である。
そんな彼女も、二年間ぐらい初仕事までニートをしていた時期があった。ニートと言うか、ずっと絵を描いていたのである。アルバイトとか一切せずに、ひたすら絵を描いて、そしてイラストレーターになった。今は某大手の、誰もが知っているようなレーベルの表紙絵なんかを担当している。大躍進だ。

そんな妹が、私に言う。

得意な事ずっとしてればなんとかなるんじゃないの?

妹は成功者である。成功者というものは、根拠なく成功体験を元に、他人も成功できるものだと励ます傾向があると私は思う。
常に失敗と、挫折ばかりを味わってきた私は、そこまで楽観的にはなれない。

 

いろいろな場所で失敗した話

わたしの挫折の話をしよう。
花には、咲くべき場所がある。日当たりのいい場所が好きな花もいれば、日影が好きな花もいる。
もっというなら、水底を愛する植物だっているだろうし、冷たい場所が大好きな植物だっているだろう。

わたしは、世間一般の「たくさんの花」――みんなが居心地がいい空間が、合わない花だった。
それに気が付くのに、ずいぶんと時間がかかってしまったように思う。

わたしは、例えるなら多分日当たりのいい場所が過剰に苦手な苔だった。
太陽に当たると燃え尽きるレベルである。にぎやかな教室よりも図書室が、図書室よりもたった一人の屋上が好きなタイプだ。

それなのに私は、「教室でにぎやかに騒げる人」にあこがれて、接客ばかりを経験してしまった。
ブライダル、スマートフォンショップ、教室インストラクター、飲食店……どれもだめで、私の精神は『仕事ができない』ことであっさりとぺしゃんこになってしまった。

接客に大きく失敗したわけではない。寧ろ、お客様相手に物凄く気を遣ったため、お客様からの反応や受けは良かった。ショップでも話しかけてくれる常連さんができたし、そこそこ外面の武装は上手くいっていたように思う。
でも、お客様に過剰に気を遣って接客し続ける事が、私の精神をすり減らした。
常に背後から銃口を向けられていて、何か失敗したら撃たれるような感覚でいた。

そんな状態で毎日過ごしていたら鬱になった。

結果、外に出る仕事を諦めることにした。

 


『仕事選び』に失敗しないために

今の時代、仕事で苦しんでいる人は多い。接客で心をすり減らし、或いはプログラミング等の作業で悲鳴を上げている。仕事にやりがいや、自身の居場所としての意味を見いだせている人ならば多少苦しい仕事でも問題はないと思う。
でも、「自分は何故こんな事を毎日やっているのか」「自分の居場所がこの会社にはない」と感じるのならば、それは置かれた場所から綿毛を飛ばすべき時なのかもしれない。

今、インターネットという風は、世界を巡っている。

そこに、自分の一番得意な事を乗せて放ってみよう。
例えばプログラミングだとか。イラストだとか。

あなたが何もスキルがないとお嘆きなら、それこそライターはどうだろうか?
多少努力はいるだろう。分かりやすい文章を心がけるだとか、正しい日本語にするだとか。でも、その技術的な事を学びながら、自分の思いを、経験を発信することはきっと楽しいはずだ。

苦しい経験を発信しても、誰かの共感を呼ぶはずだ。
もしかしたらそれが、次の仕事に繋がるかもしれない。WEBライターという仕事に。

 

 

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置かれた場所で咲かなくてもいいのかも

置かれた場所から人間は離れられなくても、飛ばした綿毛は世界中で花開くことができる。世界中で仕事ができる。
最も、そんな、世界で花開いている人なんて数少ないんだけども。

ささやかでいいのだ。わたしの場合は、自分の飛ばした文章という綿毛が、ネットの海を漂って誰かの目の前で一輪咲いてくれたら、それでいいなと思う。
ああ、あの花きれいだな、と一瞬目に留めてくれた誰かがいたなら。


きっとそれだけで、ものを書く人間って、もっと拡大解釈するなら、ものを作る人間って、生きていけるような気がする。


そしてそこからお仕事が来たらもっと最高なので、何かお仕事のご依頼がありましたらメール(hanaehimari.work◎gmail.com)よりご連絡ください。よろしくおねがいします。
俗物な締め方をしてしまったけれど、人間は心にも栄養が必要だが、体にも栄養が必要だ。これを見ている皆様も、自分向きのお仕事を頑張って探して、おいしいごはんをいっぱい食べて生きていこう。